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ONE PIECE / 尾田栄一郎

 

前回のドラゴンボール批判記事の流れで思ったことがあった。今回は内容が面白い、面白くないという記事ではないのでご了承いただきたい。

 

ジャンプでドラゴンボールの後継作品的な漫画と言えば思い浮かべるのはワンピースではないだろうか。自分もこれだけ有名な漫画なのでずっといつか読みたいと思っていた。で、ある日漫画喫茶に行って一気読みを試みてみた。もう5~6年くらい前のことなので感想もあいまいなのだが、チョッパーが出てきたあたりで読むのをやめた。決して面白くないわけではなかったのだがハマることはなく、限られた時間の中ではこれ以上費やすことは出来なかった。ワンピース好きには面白くなるのはそのあとからだと言われたが、10巻を経過して合わなかった漫画にそれからの展開を期待するほどのモチベーションは保てなかった。そのときは何故ハマらなかったのか具体的な理由は分からなかった。

 

おっさんだからと思われても自分より年上のキムタクがあんなにハマっているので年のせいではないのだろう。若いときは読み漁ることも苦痛ではなかったのだが年をとるとなかなか新しい漫画への出会いも難しくなる。漫画喫茶へも頻繁に行けない。なので自分にガッチリ合わないと継続して追いかけることは困難である。もしかしたら10巻より先にハマるきっかけがあるのかもしれないけれど。前回のドラゴンボール批判記事についての考えを書きながら思ったことがあった。私はドラゴンボールは好きだ。そしてキン肉マンも好きである。しかしワンピースにはハマれなかった。これが何故なのか。

 

キン肉マンとワンピースの共通点としては主人公が他のキャラクターとのつながりを大事にしているところだ。ジャンプの「友情 努力 勝利」のまさに友情の部分。キン肉マンなんて仲間の超人とは友情パワーを発生させるw 対してドラゴンボールは仲間意識はあるもののそこまで熱くはない。もちろん仲間が殺されたりしたら怒りを爆発させるが、つながりは自然で友情を言葉で表すことはせず少し冷静な印象がある。対してドラゴンボールとワンピースの共通点は戦いのリアリティだと思う。三作とも現実離れしたSF的な戦闘を行うが、ドラゴンボールとワンピースは戦う意味とシーンが合致している。キン肉マンの場合はどんな悪人がやってきても何故か決着はリングでつける。その割には反則などは曖昧で何でもアリ。そこを読者は割り切って物語を楽しむことが求められる。例えて言えばプロレスのようなものだ。マイクパフォーマンスで客を楽しませて、相手には挑発や怒りをぶつけるが決着はリングでつける。そういう意味ではドラゴンボールはマイクパフォーマンスがないボクシングのようなもの。物語に余計な割り切りがなくても見ていることが出来る。

 

ここでこのマイクパフォーマンスを友情に関するセリフと定義すると、悪く言えばワンピースはマイクパフォーマンスのあるボクシング、演出の過剰なボクシングに見えてしまう。この例えで現実の人間、そのイメージの強い人を当てはめてみる。決してそれぞれの良い悪いではなく、あくまでその印象が強い人ということを前提として。ドラゴンボール=村田諒太、ワンピース=亀田大毅、キン肉マン=長州力といった感じ。長州のマイクパフォーマンスは試合を盛り上げるために聞いていても割り切れる。対して決着は厳密なルールに基づくボクシングでの過剰なマイクパフォーマンスや演出は興奮を冷めさせる。

 

ドラゴンボールは基本的に鳥山明の頭で想像された世界に統一されている。現実のことや他者が入り込んでいる隙間はない。ワンピースも同じである。フィクション内の登場人物はその世界の中で、もうひとつの現実を形成している。同じ世界に住んでいる者同士であれば友情についてどう扱うか。こちらの現実世界では一般的な生活をしている中では友情がどうとか正義がどうとかは話題にならない。日常会話にその意味合いがあったとしても言葉として友情・正義が実際に出てくることは少ない。

キン肉マンはもともと超人募集を行ったり、アデランスの中野さんがいたり、キン肉一族の名前が野球選手だったり現実社会とのつながりが多い。ドラゴンボールやワンピースのようにずっとフィクションの話を俯瞰した状態で見続けられる物語とは違い、ちょいちょい現実に戻されてしまう要素がある。相手は極悪人達なのにリングで優劣を決めてくる不条理な構造を、暗黙の了解で読者は受け入れざるを得ないところもまたどっぷりフィクション内に浸れない部分である。ただその場合は現実的ではない過剰な演出も、読者参加型でミュージカルやプロレスのようにリアリティのないやりとりもすんなり受け入れられるメリットがある。正義超人が友情パワーで逆転ファイトを行っても受け入れられるのである。

 

こちらの世界とは完全に切り離されているのに、フィクションの世界の中でこちらの世界を意識したようなやり取りが繰り返されると醒めてしまう。やるならキン肉マンのようにそれを受け入れられる土台を作った上でやるべきだと思う。ミュージカルやプロレスを見るような心づもりが読者側は必要になる。

自分で読み返しても言いたいことが伝わっているのかいまいち分からないけれど、私がワンピースにハマれなかった理由は「ドラゴンボールがボクシング、キン肉マンはプロレス、ワンピースはボクシングを見るつもりでいたらプロレスをやっていた」という物語へのアプローチの間違いが要因だったと結論付けたい。ワンピースがよくないという印象になると思うが、解釈を変えればリアリティと熱さの融合にチャレンジしているのがワンピース。リアリティのみにしたのがドラゴンボールで、熱さを最重要にしたのがキン肉マン。両立して読める読者にとってはワンピースは最強の漫画であろう。

 

演出が派手だがルールはシンプルなK-1がワンピースだろうか。